連載コラム「晴れときどき子育て日和」第6回

無報酬の家事は価値もない? 子どもにそんな社会は残さない

「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」「(組織委の女性は)みんなわきまえておられ」―。

東京五輪・パラ組織委員会の森喜朗前会長の発言が社会問題となり、怒りを覚える一方で、私が向き合うことになったのは自身の「歪み」でした。

テレビ局記者だった25歳のころ、取材先とのいつ終わるとも分からない飲み会で、ある男性記者が自分の娘の動画を皆に見せていました。私は「かわいー」と棒読みで返事した後、「こっちは深夜まで仕事なのに、動画を送ってくる奥さんは気楽で羨ましいな」と思ったことを今もハッキリ覚えています。とてもハッキリと。

5年後。出産直後の体を引きずり、いつ寝たか記憶にない、おっぱい丸出しで牛か人間かわからない、誰かの評価も労いの打ち上げもない、なのに無報酬の生活に私は突入しました。

「気楽」だなんて思ったことを心からお詫びしたい…。でもそれは私だけの考えというより、漠然とした「社会一般の価値観」に紐づいていたような気もするのです。「賃金を得る労働より、家事労働の方が価値が低い」という古いジェンダー構造に基づいた認識です。

日本社会をバスに例えるなら、以前の私は自由に席を選べたのに、今や「子育て中の主婦専用席」しか与えられない感じ、と言えばよいでしょうか。悪いことに、自分自身にも差別意識があったから、その席で「わきまえ」ることを選んでしまっているのです。

社会全体で子どもを育むことは、国を支える上で必要不可欠です。けれど日本では職歴学歴問わず、子育てに専念した時期のある中高年の女性の多くが、低賃金の非正規雇用者として再就職しています。自らのキャリアや専門性を生かしたいと思っている人すらも。

女性たちを尻目に、多くの男性は「君は僕より稼げないんだから、家事はお願いするよ!子どもはお母さんのこと、大好きだしね!」と、深く考えずやり過ごしているように見えます。家事労働の代わりに男性が手にする時間の多くは、当然のように仕事や職場に注がれます。こうした仕組みを前提にした社会の構造が変わらなければ、解決への道筋は作れません。「家庭内で話し合って解決すればいいでしょ」という問題ではないのです。

私がいま、こんなふうに「わきまえ」ていない発言をするのは、子どもたちの未来を思うから。娘には、性差が不平等な負担を運命づける社会で生きてほしくありません。成長した息子が仕事より家事を優先した時、異端扱いされるような社会で生きてほしくありません。

「自分は協力的だ」と思っている男性も、パートナーが自分と同じようにバスの座席を選べているかどうか、一度考えてもらえると嬉しいです。

そして女性たちも、声をあげましょう。「私たちにはどこにでも座る権利がある」と。忍耐とともに生きる女性たちにこそ、この声が届きますように。

谷岡碧さん

たにおか・みどり/2012年にテレビ東京を退社後、タイへ移住してNGOで勤務。17年に帰国後は札幌へ住み、幼なじみと読み聞かせユニット「エネッツ」を結成して活動中。夫と小学1年生の長男、2歳の長女と暮らす。札幌市出身、36歳。

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